ジャズギター物語!第1章 民衆の生活に根差した楽器 #3

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チャランゴを弾く男

 

ポルトガルという国は早くも1436年に、アフリカ人奴隷を首都であるリスボンに送っていた。15世紀半ば以降、活発に海外進出を図っているのがポルトガルなのだ。

 

スペインはポルトガルに少し遅れて海外進出をすることになる。いわゆる植民地政策だ。どちらの国も、初期は南米そして中国への進出、その後は北米などへ進出していった。

 

15世紀後半からは南米のコロンビア・ベネズエラ・ブラジルとアンデス山脈の国々であるエクアドル・ペルー・ボリビア・パラグアイ・チリ・アルゼンチンなどの、いわゆるインカ音楽を基礎に持つ国々へ進出していった。

 

このシリーズは植民地の歴史を紐解くものではないのだが、ギターに関して伝えておかなければならないことがある。

 

  

植民地とギター

スペインの進出の際に、これらの植民地にはギターも同時に伝えられたのである。

 

アンデス地方の音楽の中で必ず登場する「チャランゴ」は、スペイン人が持ち込んだギターを欲しがったアンデス人のインディオたちが、ギターに似せてアルマジロの甲で胴体を作って出来上がった楽器なのである。

 

チャランゴ画像

 

またロス・インディオス(パラグアイ)の名曲「カスカーダ」で有名なアルパ(インディアン・ハープ)はハープから発想されて作られた楽器だと言われている。

 

 

その後のスペインは16世紀に、メキシコ・グアテマラなど中米とキューバなどのバハマ諸島へ進出した。これによってギターは中米諸国にも伝わっていったのである。

 

そして17世紀初期に北米に進出することによって、ギターも同時に伝わっていった。17世紀半ばに入ってからは、ハワイなどのポリネシア地域にもギターは伝わってゆくことになる。

 

やがてそれが、この地方でウクレレが生まれるきっかけとなった。

 

ギターが深く関わった音楽

このように伝播していったギターは、世界各地でどのような音楽に関わっていったかに目を向けてみよう。

クラシック

ヨーロッパ全土に広がっていったギターは2種類のギター音楽を完成させることになる。そのひとつがクラシックギター音楽である。これはスペインのタレーガが演奏法の基礎を開発し、後にセゴビア、ポンセなどを輩出した。

フラメンコ

ヨーロッパに伝わったギターが深く関わった音楽のもうひとつがフラメンコだ。フラメンコ・ギターとクラシック・ギターのそれぞれの奏法が、後にメキシコやブラジルなどに伝わっていったのである。

カントリー・ミュージック

フォークソングとカントリー・ミュージックは、アメリカ独立戦争の頃(1776年前後)に、アパラチア山脈方面へイギリスの民謡が伝わったのがそのルーツだと言われている。

 

この音楽にギターが大量に持ち込まれたのは、1833年にC.F.マーチンのギターがドイツからアメリカに伝わったことによるものだ。

 

この頃にはほぼアメリカン・ミュージックとしてのカントリー・ミュージックも完成しており、そしてそれは現在まで脈々として受け継がれ、アメリカの白人にとって心の音楽とも言われている。

 

ご存知の方も多いと思うが、ポップス界のスーパースターであるあのテイラー・スウィフトも実はカントリー・ミュージックの出身である。

  

フォークソング

一方、フォークソングは民謡として伝えられたままのフォーマットで、ほとんどスタイルを変えることなく、発展もなく受け継がれてきた。後にC.F.マーチンと肩を並べるギターメーカーであるギブソンのフォークギターが1894年にメキシコ経由で伝わった。

 

特に1898年の米西戦争(アメリカ合衆国とスペインの戦争)以来大量に、そして比較的安価に手に入るようになった。そしてフォークソング・ミュージックの中心的楽器となったのである。

 

現在でも、カントリー寄りのミュージシャンはマーチンのドレッドノートを好み、フォーク寄りのミュージシャンはギブソンのアコースティック・ギターを好むのは、当時の名残りではないだろうか。

フォーク・ムーブメントと『いちご白書』

そして1950年代の終わり頃に、ハイスクールやカレッジでのフォーク・ムーブメントによってフォークがリバイバルしたことはよく知られている。

 

その流れはアメリカ人作家ジェームズ・クネンによる小説であり、映画化もされた『いちご白書』に色濃く感じられる。

 

この話はクネンが19歳の頃の、在籍していたコロンビア大学での1966年から1968年までの体験、とりわけ1968年の抗議行動と学生による学部長事務所の占拠についてのエピソードだ。

 

映画はクネンの原作を元に、1960年代の学生闘争を描いたフィクション映画として1970年に公開され、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。

 

『俺たちに明日はない』や『イージー・ライダー』と肩を並べるアメリカン・ニューシネマとして歴史に残る名画である。

 

筆者もリアルタイムではないが、学生時代にある大学の文化祭で『いちご白書』の上映会があった時に参加して、観る機会を得た。

 

若者のピュアでしかし屈折したエネルギーと権力への怒り、無力感と失望、そしてその向こうにあるのかないのかわからないけれどあって欲しい希望を描いたラストシーンは素晴らしかった。

 

音楽も良かった。フォークベースの曲が主に使われていたが、劇中で流れる「サムシング・イン・ジ・エアー」(サンダークラップ・ニューマン)、「ヘルプレス」(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)などを始め、いずれも映画に溶け込んでいた。

 

とりわけ終盤での「Give Peace a Chance」(ジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で書いた曲)を、講堂に立てこもった学生たちが手を打ち床を叩き歌うい上げるさまには、当時学生だった筆者に熱いものがこみ上げたものだ。

 

ジョン・レノンのゴキゲンな演奏もどうぞ。

  

  

ちなみに、この映画の主題歌はジョニ・ミッチェルが作詞作曲したフォークテイストの名曲「サークル・ゲーム」を、バフィ・セント=メリーが1967年にカバーしたバージョンが使われている。

 

 

少し横道にそれたが、ギターの変遷とそれが関わった音楽で次にくるものは、いよいよ・・・ブルース、そしてジャズである。

 

それは次回の楽しみとして頂こう。

 

 
〜「第1章民衆の生活に根差した楽器 #4」に続く〜