2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
チャック・ベリーは1964年当時は多くの人達が知らなかったはずなのに、ビートルズのおかげでまるで記憶を塗り変えられるように超一流ロックンローラーとなり、やがてチャック・ベリーは日本では「ロックンロールの神様」に祭り上げられるに到るのである。
これまで筆者が発刊した、ビートルズ名曲誕生秘話集シリーズ1〜3巻をまとめた集大成版Kindle本を発刊した。シリーズはまだ続くが、現時点までの1〜3巻分を一堂に会しただけでも、相当な分量になった。目次だけでも半端ないが、参考に紹介しておく。
筆者の英語喉の師匠、上川氏のVOICYラジオ番組「国際結婚と英語」に再び招待され、2番組に出た。 内容は「ネイティブのための英語による大阪弁講座」である。筆者が先生、上川氏が生徒として英語で大阪弁アクセント、イントネーションを教授している。
1964年はビートルズにとって世界進出を本格化した、まさに世界の音楽史を上書きし始める年であった。1月はフランスのパリ、2月はアメリカ遠征、デンマーク、オランダ、英連邦各国におけるコンサート、8月にはアメリカ・カナダの北米ツアーを敢行した。
ビートルズに関するコラムを書き始め、これまで合計32本のコラムを書いた。エピソードはその時点だけではなく後の出来事に繋がっていて、並べ直すと違った読み方ができる。初期のビートルズ秘話もかなりの数になってきたので、一度時系列的にまとめてみた。
ローリング・ストーンズのデビュー・シングル「カム・オン」はイギリスで1963年6月7日にリリースされた。これはチャック・ベリーのカヴァー曲であった。彼らはこのデビュー曲ぼ選択には、いささか不満があった。彼らはロックンロール以上にR&Bに心酔していた…
1963年の夏も終盤、体調不良のため安静にしているジョージ・ハリスンの元をレノン/マッカートニー名義の著作権を管理する「ノーザン・ソングス」をビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインと設立した人物ディック・ジェイムスが訪れた。
ビートルズのセカンド・アルバムがリリースされたのは1963年11月22日である。同じ日にアメリカと日本では衛星中継によるテレビ電送実験がおこなわれ、ケネディ大統領からの祝辞が届くはずであったが、海を越えて伝えられたのは驚くべき事件であった。
ビートルズの「イット・ウォント・ビー・ロング」はアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』の最初の曲であり、勢いはフルスロットルなのにやけにリラックス感があり、若いのにレイドバック感がある「これぞビートルズ・サウンド」とも言うべきロックンロールだ。
「オール・マイ・ラヴィング」はビートルズの2枚目のアルバムの中でとりわけ完成度・人気・評価が高いモンスター・チューンで、ポール・マッカートニーの桁外れの作曲の才能と、メンバーの楽器演奏力、アレンジスキルが組み合わさった典型的な見本でもある。
ビートルズのアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』でジョージ・ハリスンが歌う「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」はメロディアスなラブソングでジョンの作だ。言いたくても言えないマネージャー・エプスタインの恋の秘密を指していた。
バンドの中でドラマーは楽器の性格上、一般的にはボーカルを取ることが少ない。これはドラマーとしての宿命だ。リンゴ・スターもボーカルを取ることは少なく、コーラスへの参加も少ない。しかしボーカル技術的なものというより声質的なものによるところが多…
ビートルズのセカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」は「ビートルズ」というスケールの大きい音楽・カルチャー革命の幕開けを告げた。実はこのアップテンポの名曲は元々はバラードだった。ジョージ・マーティンの助言でテンポを変え、大ヒットした。
ビートルズのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』の、わずか1日しかなかい収録の最終段階で、奇跡的な一発録りで秀逸なカヴァーが生まれた。アイズレー・ブラザーズのヒット曲「ツイスト&シャウト」だが、原曲を遥かに凌駕する出来栄えとなった。
デビューアルバム『プリース・プリーズ・ミー』の劈頭を飾る「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」は、ビートルズを初めて聴く多くの者の心を鷲掴みにしたのは間違いない。何が洒落ているかって、いきなり若きポール・マッカートニーの弾むような生の…
ビートルズのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は1963年4月にイギリスでリリースされ、翌月に全英ヒットチャートのトップに躍り出て以降、30週に亘って首位を独占した。このアルバムはなんと僅か1日、約13時間で収録された。それにも関わらず、…
筆者MASAは8年前に社会人になって以来の英語再学習を「英語喉」で開始し、その年のうちにスカイプで会話ができるネイティブ友人が100人以上できた。それはMASA RADIOでもわかるように、嘘のような本当の話だ。このベースにあるのは英語喉の元締め、上川…
アルバム『アビイ・ロード』はエンジニアのジェフ・エメリックとプロデューサーのジョージ・マーティン無くして生まれなかった名盤だ。アルバム『アビイ・ロード』にまつわる興味深いエピソードや、謎のまま語り継がれていることが色々と存在するが、昔は情…
「ビートルズ」の『アビイ・ロード』には「エヴェレスト」という「元タイトル」があった。ビートルズにとって12枚目のアルバムである。1967年8月にマネージャーのブライアン・エプスタインが急死してから、求心力を失ったビートルズは『ホワイト・アルバム』…
「Ebony and Ivory」という名曲がある。Ebonyは黒檀、Ivoryは象牙を指す。転じてピアノの黒鍵と白鍵を意味する。1982年にポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーのデュエットで発表された曲だ。 お察しの通りこれは白人と黒人(及び有色人種)…
『サムシング』をジョージ・ハリスンのビートルズ時代の楽曲の中で最高作に位置付ける人は多い。レノン・マッカートニーも含めた中でも、一番に挙げる人も多い。ビートルズ・ファンのみならず、その傾向があるようだ。マイケル・ジャクソンはビートルズの曲…
ビートルズのアルバム『アビイ・ロード( Abbey Road )』の4曲目、『オー!ダーリン』は世の中のロッカ・バラード系の楽曲の中で、間違いなくトップクラスの秀逸な楽曲だ。ロッカ・バラードは最近はあまり使われないので、少し補足しておこう。
ビートルズの曲の中で、ハーモニーがもっとも美しい曲とされる『アビイ・ロード』の『ビコーズ』は、ジョン、ポール、ジョージの3人がジョージ・マーティンの和声アレンジのもと、オーバーダビングを2回重ねて9声の完璧なコーラスラインを成立させたのだ。
ビートルス『アビイ・ロード』のB面メドレーの中にある『ゴールデン・スランバー』の元ネタはなんと400年近く前に作られた子守唄なのだ。シェイクスピアと同じ時代に生きたトーマス・デッガーという英国の作家の喜劇の中で歌われた子守唄なのである。
ジョージはエリックのアコースティック・ギターを借りて、カポタストを7フレットにセットした。それを見てエリックはちょっと驚いた顔をした。「そんなハイポジションにカポタストをつけるのかい?」「聴けばわかるさ」ジョージはウインクしながらそう返す…
アルバム『アビイ・ロード』の最後の曲『ハー・マジェスティ』は「女王陛下」を茶化した内容だ。なにせ女王陛下は可愛い素敵な娘だと歌い、いつかものにしてやるなどと歌うのだから日本では考えられないことだ。いくらユーモアとウィットを愛する国でも、さ…
今回の『今スグ使える生きた英語』は、ネイティブが日常で誰かに感謝を伝える時によく使われる表現を紹介しよう。つまり Thank you だけではなく、どのような言い回しが使われているかである。いかにもネイティブらしい表現がいくつかある。シンプルで覚えや…