英語喉黎明期を描く小説堂々の完結編『喉の旅 下』発刊!冒頭「音の仕様書」全文公開【エンタメ】
Sponsored Link Advertising
Contents
Sponsored Link Advertising
英語喉小説の完結編『喉の旅 下』
英語喉の誕生から黎明期を描いた小説『喉の旅』が完結し、下巻が無事発刊となった。
『喉の旅 下』では、主人公上川一秋とその妻ジーナが『英語喉 50のメソッド』発刊のための総仕上げに打ち込む様子が、英語喉の発音表記方法との苦闘とともに描かれる。
そのメソッドに深い興味を抱いた日本人女性ジャーナリスト氷十河枝麻は、折りよくワシントンでおこなわれる心理学会の取材の流れでアーリントンの上川宅を訪問し、未知なる画期的なメソッドの出現に心を躍らせる。
原稿を託された出版社の前畑が心血を注いで、彼と部下の谷口によるワシントン訪問から丸二年掛けで出版に漕ぎ着ける。
発刊からほどなくして、幾人かの草創の英語喉実践者たちによる瞠目すべき体験が起こり始める。
アメリカに住み「透明人間」として苦しむ青年たちを救い、英語好きなのに発音コンプレックスを持つ青年に国際交流の仕事に就かせるという数々の英語喉のエピソードが生まれ、世間に発信されてゆく。
初期の実践者たちの体験に触れた新しい実践者たちは、インターネットで英語喉の新しいパラダイムを世間に発信してゆく。
次第に裾野が広がりゆく英語喉コミュニティを、上川一秋はさらにダイナミックに展開していくことを決意する。
Sponsored Link Advertising
小説『喉の旅』とは?
小説『喉の旅』は事実にもとづいた物語である。
英語圏のネイティブスピーカーと同じ発音を可能にする、画期的な英語メソッド本『英語喉 50のメソッド』の著者上川一秋とジーナ・ジョージが主人公だ。
アメリカ社会の中であまりに周囲が自分を無視するので、自らを「透明人間」と名付け、コミュニケーションに深刻に悩んでいた上川は、自分の英語に原因があるとの仮説のもと、妻であるジーナとともに、ネイティブ発音の核である二大要素の存在を発見する。
その発見を自らの英語の発話に取り入れだすと、周囲の上川に対する接し方が一変し、ほどなくアメリカ社会に完全に溶け込めた経験により、発見の正しさを身をもって証明する。
そして彼らは日本人が、英語ネイティブと対等なコミュニケーションが取れることを願い、試行錯誤の闘いを通してメソッドを体系化し、学習書籍として世に送り出した。
本書はその闘いを、上川自身が書いた記録文書や著者MASAによる上川を含む複数の関係者たちへの綿密な取材を通して再構築し、描いたリアルなフィクションである。
上中下3巻構成で、読み進めながら「英語喉」つまり「ネイティブメソッド」のアウトラインも理解できる、史上初の英語学習小説でもある。
また、この小説はエンタテインメントとしても楽しめる内容を有するが、上川一秋が監修の労を担っており、英語喉メソッドを広める啓蒙書籍としての資格も備えた小説であることを銘記しておく。
Sponsored Link Advertising
喉の旅 下
~英語喉メソッドによる人生革命~
目次
旅装
音の仕様書
独特なる執筆方法
服を着た好奇心
ジャーナリストの矜持
脱稿の日
旅立ち
黎明の群像
国際交流の現場へ
アメリカにて
学習書乱立
枝雀トライアスロン
画龍点睛
勝利宣言
羅列
全国ネット
胎動
先人の足跡
実践と発信
英語喉ポッドキャスト
喉の旅
※『喉の旅 下』冒頭「旅装」の章
第一節「音の仕様書」を全文掲載
旅装
音の仕様書
枯木立だった林道も禿げ山だった山並みも眩い新緑の絵具をこんもりと盛り上がるほど塗られ、ヴァージニアはまるで別天地に生まれ変わったような表情を見せている。
2005年初夏、上川とジーナは発音メソッド執筆のためのディスカッションに余念がなかった。彼らの方法論は内容的にはあらゆる意味で従来の教則本と一線を画すものになるので、色々と表現に苦労するであろうことが予想された。
彼等はとりわけメソッド全体を貫いて重要な役割を果たすべき発音表記をどうするか、という問題には頭を悩ませていた。従来の発音記号は、音を輪切りにした断面図のようなものであると彼らは考えた。彼らはそれを二点において、不完全だと喝破していた。
ひとつは喉という「発音の座」について言及されていないことだ。これは最も重要でありながら、ネイティブの英語話者自身に自覚がないので、他言語話者の中で口発音が存在することなど思いもよらなかったのだろう。無理からぬ面もある。
しかしながら、ふたつめは既存の発音記号の構造的に不完全な部分であると言わざるを得ない。
つまり、あくまでも「ある音のある瞬間」を表現したに過ぎないということだ。
実際には音というものには「ライフサイクル」がある。生じてから消えてゆくまでの、ほんの瞬間であっても「時間の経過」と「プロセス」がある。それどころか、生じる直前からすでに音は始まっていることにすらジーナは気付いていた。
そしてそのライフサイクルの中で、音色や響き具合が当然ながら微妙に変化する。その流れを無視してどこかの一箇所だけを表現したものが従来の記号である。
それゆえ、例えば、Lには明るい音と暗い響きのダークLが存在するなどという議論が、音のライフサイクルという視点の欠如を、後追いで補わねばならなくなっている。
Lは単語の最初にくる場合と最後に来る場合、そしてまた途中に来る場合は後に続くのが母音か子音かによって響きが微妙に変わる。
これはL音のライフサイクルとそれに絡む別の音との関係によって生じる変化であり、音のライフサイクルという概念抜きには理解できない。
しかしそれを理解すれば、同じ音なのに様々な発音が存在するという考えがいかに間違っているかが分かる。実際、LはどこまでいってもLである。L以外のなにものでもない。
響きが違うLも、あくまでL自身の変化相であって、その折々の音の前後関係で響きが変わるだけであり、Lの本質は些かも変わらないのである。そして、これは全ての音に当てはまる原理だ。
しかるに、そのLに限らずある音の複数の発音を覚える必要など全く無いのだ。ただただその音を覚えれば、前後の関係で変化する響きもまた「オートマティック」に得られるのである。
また、英語ネイティブが英語を発する時に「準備音」あるいは「予備音」と呼ぶべきか、必ず目的の音を出そうとする状態に向かう時に、すでに音にならない音が鳴っている。
それをジーナは「ルート音」と名付けた。「根本」を意味するrootから名付けたのだ。
この概念も、確かにそれを英語ネイティブはやっているにもかかわらず、あくまでも無意識でやっていることなので、明確に指摘したのは画期的なことだ。この辺りはジーナの真骨頂だと言えよう。
音が準備され、生まれ、そして消えてゆく過程を通して記号化するということは、音の弁別的要素がそれによって発生する仕組みを内包する必要がある。
そのためにも、音を響かせる位置が喉の中での上と下のエリアのどちらかということも一目瞭然になっていないといけないのだ。
思考錯誤の末、二人によって考えだされたものは、音を表現する発音記号というよりは「音の仕様書」ともいうべき画期的な表記法だった。
その表記法は次のようなルールを伴っていた。
日本語に存在している音はアルファベットの大文字で表され、存在しないものは小文字で表す。また、喉の下部エリアで発音するものは母音子音、日本語に有るか無いかを問わず、文字にアンダーラインが引かれる。
つまり日本語のアを喉の上部エリアで発音する場合「A」となる。日本語にないcan’tのaは小文字の「a」だ。日本語になくて、しかも喉の下部で響かせるcat の a は下線付きの「a」になる。
日本語にある音なら、あとは喉の上部か下部のどちらかで発音すればよいか分かればよいので比較的理解しやすい。しかし、日本語にない音は日本語を使って説明が出来ないので、どうしても音声付録に倣ってそれを「真似」るやり方をとらざるを得ない。
日本語の音を使いつつ、微妙に違うと断わりを入れながら、無理やり説明している教本もあるが、やはりそれは実態を反映しないので彼らはその手法は避けたかった。
「真似る」とは抽象的だからちゃんと説明すべきだという者も出てくるであろうと思われた(実際に出版後にそういう声も出た)が、日本語に無い音を有る音で説明するのは実際不可能である。
一方、音を真似て覚えてゆくのは、どの国の者も幼児期にそれで覚える自然なやりかたである、と二人は確信を持っていた。
上川は慎重には慎重を期して考えた。
仮に無理やりカタカナを使った表現で伝えようとしても、中途半端に示されるだけで「実際は違う音のニュアンス」が生む先入観によって返って妨げになるとも思える。
それぐらいに神経質にならざるを得なかったのは「透明人間」の辛酸を舐めた上川だからこそのこだわりとも言えるだろう。
日本語にない音だからこそ、真似るべき音に関してはあくまで音声サンプルで伝え、中途半端な説明はしないという方針を立て、それを貫く覚悟を上川とジーナは決めた。
無論、物理的部分である舌の状態や口の開け方等々の文字で伝えられる範囲は、必要に応じて説明を入れるのは当然だとも、彼らは考えていた。
そうやって完成した新しい発音記号が「ネイティブ発音記号」である。これは大袈裟ではなく画期的な発音表記方法である。これを使えば英語ネイティブがやっている発音法をそのままに再現できるのだから。
喉発音を表現するので「喉発音記号」と読んでもよいかも知れない。
従来の教本が結果的に「似せる」やり方のマニュアルであり、そういう意味で限界があったのに対し、上川とジーナのメソッドはずばりネイティブのやり方を「真似る」ことで身に就けてゆき「まったく同じ」になることを目指せる教本だという天地の違いがある。
鹿野崎教授がいみじくも表現したように、まさに既存のマニュアルは根本が欠落した天動説であり、上川とジーナのメソッドこそが地動説だと言えよう。
「ネイティブ発音記号」が体系化された後、次なる課題はその記号を使いつつ加えるべき説明において、喉の上部と下部のふたつのエリアのことをいかに伝えるかで二人は悩んだ。そういう観点でのエリアの名称は未だかつて存在しない。
しかし日本人の英語にとって最重要項目でもある「喉」に関しては、伝え難いことを何としても伝えないことには、前に進めなくなってしまう。まさにこのメソッドの要なのだから。
そして果たせるかな、これに関しては上川が後世の歴史が称賛するであろうほど見事な、誰にでも伝わる表現を考えついたのであった。
『喉の旅』既刊
筆者MASAのKindle本
MASAの書籍は読み放題対応!登録後1ヶ月は無料(1ヶ月手前で辞めるのもOK)