喉発音とは自分自身が管楽器になることだ!英語喉はネイティブのやり方

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英語喉メソッドが説く、ネイティブの実際の発声法である喉発音を、究極のひと言で表現すると「自分の喉を管楽器にしてしまう」ことだ。英語というサウンドを奏でる管楽器に。そう捉えた時に、なぜ口発音ではなく喉発音でないといけないかが、理解できるはずだ。

 

ディジー・ガレスピー画像

https://www.yougaku-youga.com/entry/2013-05-11-210000

 〜日本人が英語聴き取りと発音に弱い根本を解決するには〜


ライターである筆者が、仕事で依頼された原稿ではなく、自分が発信したいことを書くために本年(2019年)5月末に開設したのが、このブログ「或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々」だ。

 

ブログのコンセプトは英語喉、小説、ジャズ並びに音楽全般、映画などの芸術やエンターテイメントに関してである。

 

書いている内にだんだんそうなって来た傾向としては、小説は純粋に小説に関してのコラムだが、映画や音楽のコラムはほとんどすべてが、その折々の題材の掘り下げプラス英語喉的な解釈が絡む、知らない人には奇妙な読み物になっているようだ。

 

それが返ってオリジナリティを生み出してよかったのか、おかげさまでたくさんの人に読んで頂いている。よって有難くも、コラムがいわゆるバズることも時々起こる。

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さて今回は、英語喉の喉発音という概念の基本的なアウトラインについて、少し掘り下げて書いてみようと思う。以前に書いた英語の喉発音が走り幅跳びに似ている件からさらに考察を進めたもので、よりわかりやすいと思うので、ぜひ読み進めて頂きたい。

 

英語喉を構成する2大要素は、いつも言うことだが「喉発音」と「スリービート」だ。スリービートとはシラブル、つまり音節に関しての日本人と英語ネイティブとの根本の違いを明らかにし、ネイティブのシラブルの取り方を体得するアプローチである。

 

日本語は子音+母音なのでタカタカタカという平面的なイメージだ。英語は子音+母音+子音でボォンボォンという立体的なイメージのサウンドだ。これに関してはいくつかコラムで書いている。

 

参考にひとつだけ選ぶとして、下記コラムをお読みいただきたい。

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「喉発音」はそのものズバリ、喉を使って英語を発音することだ。というのは日本語は口発音なので、響かせる場所の違い(喉と口の中の違い)から、生まれるサウンドが決定的に違うのである。

 

そして、喉発音とスリービートの2つは密接な関係にある。

 

詳しくは上川一秋氏、通称カズさんと奥様のジーナさんの共著によるCD付 英語喉 50のメソッドにすべて書かれてある。また、シラブルのスリービートにフォーカスした機関銃英語が聴き取れる!-リスニングの鍵はシラブルとビートも、副読本として理解の助けになるだろう。

 

ともあれ「喉発音」と「スリービート」・・・入り口はこのどちらかからのアプローチでよいのだが、最終的には双方が機能してこその、ネイティブの発音、発話の仕方に近づくのである。

 

そう書くとなにやらたいそうに思えるかもしれないが、決して難しいことではない。個人差で早い遅いはあっても、誰しも体得できるものであり、要素の片方がわかれば自然ともう片方もわかるようになっていくものだ。

 

ただ、喉発音やシラブルのキャッチの仕方など、非常に感覚で理解する部分が多く、なかなか言葉の説明だけでは難しい部分があるのも事実だ。

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最終的には実践してみるのがもっとも近道なのだが、決して優劣ではない単なる個人差で、すぐわかる人もいれば、なかなかわからない人もいる。

 

筆者も可能な限り、理解の助けになることを願ってコラムや音声を発信し、そして現在出版準備中の英語喉ストーリーの小説もそのためである。


さて長い前置きを経て、本題に入る。喉発音をまったく別の角度から表現してみようと思う。先日カズさんとメールをやり取りする中で、筆者は以下のような仮説を立てて、意見を求めた。

 

その仮説とはこうだ。英語を話す時に、喉発音で息をたっぷり吸って話せば口の動きは最小限でいけるが、口発音のように息をあまり吸わずに話すと、口をせっせと動かさないと表現したい音の分別的要素に欠けてしまうという仮説だ。

 

息をたっぷり吸って、吐き出しながら喉で響かせて発話することは、カズさんの英語喉の本でも強調されている。そうすれば、口の動きは最小限でもちゃんと発音できる。

 

喉発音でも息の吸い方が少ないと、口の動きで補う必要が出てくる。口発音寄りになってしまのだ。喉発音でさえそうだから、口発音では口の動きがせわしなくなるのは、ある意味当然だ。

 

実際ネイティブの普段の喋りは、口があまり動かない。ただし、ドラマや映画は別だ。日本人でも同じで、演じている場合はデフォルメされるからだ。

 

しかも口発音でいくらちゃんと発音できたと思っていても、ネイティブには通じにくい。さいわい通じたとしても、心は通じない。言葉の壁、文化の壁を隔ててのやりとりを超えることは難しい。

 

こちらが喉でやればネイティブは、言葉と文化の壁を瞬時に取っ払うことは何度も書いてきた。

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話を戻そう。

その呼吸の深さと口の動きの反比例の関係について、カズさんの回答に、まさに我が意を得たりと唸ってしまった。

 

カズさんは筆者の仮説に同意をしたうえで、「息をたくさん吸うと言うことは、喉を楽器のように使っているということかも知れませんね」と発言したのだ。その言葉で、思考の鍵がカチャリと開いた。

 

あ、管楽器だ・・・

 

人が声を出す瞬間は、自分の肺から上の、気管から声帯、そして口唇までの全体が管楽器になっているのだ。その声帯に音を発生させる燃料たる空気を送り込む肺というシステムも体内にある。

 

これは体の中に楽器を持っているとも言えるし、体全体が楽器だとも言えるだろう。オペラ歌手などはまさに体全体が楽器のようだが、ネイティブスピーカーは英語を奏でる地味な楽器だと考えられる。この地味な楽器は日本人でもなれるのだ。やり方は簡単で喉発音をするだけだ。 

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サキソフォンに例えてみよう。サキソフォンに関してよく使われる言葉でアーティキュレーション(articulation)というのがある。特に音楽用語というわけではなく、アナウンサーなどの職種にも使われるが、楽器の音や音声の輪郭を際立たせるという意味だ。楽器ならクリアな楽器音、声ならクリアな発音と言い換えてよいだろう。

 

いかに音をはっきりと響かせているか、および強弱あるいは抑揚や音の表情を出すこと全般を指すのがアーティキュレーションである。

 

アーティキュレーションのレベルが高いサキソフォン演奏ができる奏者は、肺活量も多く、息をたっぷり吸い込んでサックスを吹いている。逆に言えば、浅い呼吸で吹いても、素人っぽくて、ろくな演奏にはならないのは明らかだ。

 

テナーサックスのジョン・コルトレーンにせよ、ウェイン・ショーターにせよ、他の管楽器で言えば、トランペットのマイルス・デイビスにせよ、ディジー・ガレスピー(冒頭の画像)にせよ、アーティキュレーションに優れた奏者はたっぷりと深呼吸して、それを楽器に送り込んでいる。

 

ディジー・ガレスピーは演奏中の頰がカエルのように膨らむのが有名だ。日野皓正もそんな感じだ。それだけ、たっぷりと楽器に空気を送り込むから、よく響くクリアな音を奏でることができるのだ。 

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喉発音も息を送り込むのは同じだが、それはいわゆる楽器にではなく「喉」という体内の楽器に向けてだ。

 

たっぷり送り込めば、英語のアーティキュレーションもよくなり、息が浅いとその逆で、アーティキュレーションが悪くなる。アーティキュレーションのマズさをカバーするために、つまり音の輪郭を出すために、口を動かすことになるのだ。

 

だから英語の発話者は「喉(気管、声帯からく口唇までを含む広い範囲での喉)」という管楽器にたっぷりと息を注ぎ込んで声を出せば、よく響き、ネイティブスピーカーと同様の声になり、口の動きは最小限で充分なのだ。

 

歌うように喋るという言い方もできるかも知れないが、歌という行為は誰でもできるのに喉発音はそうならないので、ここはあえて「喉を管楽器に見立て」るアプローチとしておきたい。

 

息を充分吸って、喉を響かせれば響かせるほど、音もクリアになるのでよりネイティブに通じやすくなることは間違いない。ひとつの喉発音体得法として提案するものである。